葛城ユキ腹膜癌で帰らぬ人に…経歴と『ボヘミアン』他楽曲紹介!【音源有】

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いつもありがとうございますtodonekoです。

27日午後2時16分に昭和を代表する女性ロックシンガー「葛城ユキ」さんが腹膜癌でお亡くなりになりました。私も大好きだった『ボヘミアン』がもう聞けないのかと思うと残念でなりません。

葛城ユキ」さんの今までの功績を振り返ってまとめてみました。皆さんもご一緒にご確認ください。

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葛城ユキさんのプロフィール


本名:田中小夜子(たなかさよこ)
生年月日:1949年5月25日
出身地:岡山県川上郡川上町(現・高梁市)
学歴:片山女子高等学校(現:倉敷翠松高等学校)

高校時代はバレーボール部のアタッカーとしてキャプテンを務め、国体に2回、全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会(インターハイ)に1回出場されています。

これは私自身もバレーボールを中高と家庭婦人でやっていたので、本当に凄い成績です。

その成績で実業団からオファーがあって「倉敷紡績」(クラボウ)に入社されたそうですが、身長167cmだった事で実業団のネットの高さでセッター転向を示唆されて退職されたそうです。その理由が「私はアタッカー、中心にいないと嫌だった」と言うのが「葛城ユキ」さんらしいですよね~!

歌手『葛城ユキ』への道のり

それでは、「倉敷紡績」(クラボウ)を退職した後、歌手『葛城ユキ』への道のりを確認してみましょう~!

1969年レコードデビュー

「倉敷紡績」(クラボウ)を入社1か月で退職した後、家で同然で大阪に移住し、音楽スクールに通い始めた『葛城ユキ』さん。

1969年11月日本コロンビアから田中小夜子として「夜を返して」でレコードデビューしています。作詞:三上博司/作曲:斉藤敬司/編曲:山路進一

●曲調はB面のタイトルが「名張ブルース」とあるようにロックでは無くて昭和ブルース調ですよね。

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1970年には朝霧マチとして音楽活動再スタート

1970年11月「泣いた分だけ損をした」をリリース

1971年「恋ぐれ通り」をリリース


ポリドールではこの2枚のみのリリースでした。ヤフオクでの値段が高かった事で、当時はあまり売れて無くて希少価値が高いと言う事でした。

●田中小夜子名義の曲同様に朝霧まち名義の曲も、私の葛城ユキさんのイメージとは全く違う昭和ブルース調で少しびっくりです!

1973年第6回ヤマハポピュラーソングコンテストで歌唱賞を受賞

今回調べたらこの「小さな出発」って作曲が「子門正人」さんで、更にびっくりです!

ヤマハポピュラーソングコンテストは略称「ポプコン」と言われていて、私も大好きな「八神純子」さんや「小坂明子」さんは勿論、や等数多くの素晴らしい歌手の登竜門でこの「ポプコン」出身で歌手としてデビューし方達は『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋すると

NSP、高木麻早(1973年)、谷山浩子、八神純子(1974年)、渡辺真知子、中島みゆき、因幡晃(1975年)、佐々木幸男(1976年)、世良公則&ツイスト、安部恭弘(1977年)、佐野元春、長渕剛、円広志、大友裕子(1978年)、チャゲ&飛鳥、クリスタルキング(1979年)、Side by Side(伊丹哲也、十川知司)(1980年) 、雅夢(三浦和人)、きゅうてぃぱんちょす(杉山清貴&オメガトライブ)(1980年)、伊藤敏博、アラジン(高原兄)(1981年)、あみん(岡村孝子)(1982年)、TOM★CAT、辛島美登里(1983年)、新居昭乃(1984年)、音楽家に寺嶋民哉、千住明などがいる。

本当に錚々たるメンバーですよね~!

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1974年に葛城ゆきに改名しメジャーデビュー

名付け親はヤマハ音楽振興会理事長などを務めていた川上源一さんで、由来は川上さんが当時昔からの言い伝えがある地名などに興味を持っていた事で、奈良県葛城に由来する源氏物語の中の一文「かづらきあそび給ふはなやかにおもしろし」から葛城を採り、下の名前は葛城とのバランスを考えて名付けられたそうです。

1974年の第7回では「木曾は山の中」を歌い最優秀賞を受賞


● これもロックではなくてどちらかと言えばニューミュージック系ですよね。

1983年「ボヘミアン」の大ヒット~!

1970年代途中で葛城ゆきから現在の『葛城ユキ』改名されています。

1980年にボニー・タイラーの「Sitting on the Edge of the Ocean」のカバー曲「哀しみのオーシャン」がヒットし、同年、ファーストアルバム『寡黙』をリリースしています。

そして、1983年に『ボヘミアン』の大ヒットとなり、これは『葛城ユキ』さんの代表作となりましたね~!

今回調べてみて、この『ボヘミアン』って飛鳥涼さんと井上大輔さんが「大友裕子」に提供していて、『葛城ユキ』さんはカバーだったんですね!全然知りませんでした💦

「大友裕子」さんもポプコン出身で、キャッチコピーが「衝撃のハスキーヴォイスと魂の叫び」とありましたが、オリジナルの『ボヘミアン』は『葛城ユキ』さんより柔らかい印象ですね。

女性ロックシンガーとして羽ばたくも大けがで引退危機も…💦

●1986年9月に開催された、中国広東省珠海市『珍珠楽園』でのコンサートは日本人女性ロックシンガーとしての初のコンサートで、3日間でのべ3万人を動員したそうです。

●2003年10月2日にフジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』の収録中に「人間大砲」のゲームで第7胸椎粉砕骨折、第8胸椎脱臼の重傷を負い、背中にチタンの支柱を埋め込む大手術を受け、当時は体を1ミリも動かせず引退も覚悟するも、驚異的に回復し翌年5月10日に復帰ライブを開催している。

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2021年4月26日、ステージ4の原発性腹膜がんであると公表

人間ドックを受診して発見されたそうですが、公表した4月26日と27日のコンサートは予定通り行って、5月から治療に専念されていたそうです。

2022年5月17日には千葉県成田市の成田国際文化会館で行われたジョイントコンサート「夢スター 春・秋」に葛城と同じく病気療養中であったあべ静江さんと共に車椅子で出演され、約1年ぶりにステージへ復帰されてましたが、6月27日、腹膜がんのため都内の病院で帰らぬ人となりました。享年73歳だったのですね。

『葛城ユキ』さんの今までのまとめ

独特のハスキーボイスで私たちを魅了し続けた『葛城ユキ』さんの今までの功績をまとめてみました。

個人的にはバレーボールでも凄い活躍されていた事も知り、更に親近感とリスペクトを感じました~!

無名時代の歌声もロックでは無いですが、1度聞いたら忘れられない特徴のある歌声ですよね~!特に下門正人さん作曲の「小さな出発」も素敵な曲でした。「およげたいやきくん」とは全然イメージが違いましたが、この曲を聞いた事で下門正人さんの他の曲も聞いてみたいと思いました。

『葛城ユキ』さんの『ボヘミアン』は心に響く魂の歌声だと思いますし、これからも人々の心に残る名曲ですね。

癌治療は辛く苦しかった事と思います。どうか天国ではすべての痛みと苦しみから解き放たれて、また素敵で素晴らしい歌を歌われますよう心からお祈り申し上げます。

本当に心からご冥福をお祈り申し上げます。

今夜も最後までお付き合いありがとうございました。

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